商品は、一見、自明な平凡なものに見える。商品の分析は、商品とは非常にへんてこなもので形而上学的な小理屈と神学的な小言でいっぱいなものであることを示す。商品が使用価値であるかぎりでは、その諸属性によって人々の諸欲望を満足させるものだという観点から見ても、あるいはまた人間労働の生産物としてはじめてこれらの属性を得るものだという観点から見ても、商品には少しも神秘的なところはない。人間が自分の活動によって、人間に有用な仕方で自然素材の形態を変化させるということはわかりきったことである。たとえば、材木で机をつくれば、材木の形は変えられる。それにもかかわらず、机はまだ材木であり、ありふれた感覚的なものである。ところが、机が商品として現れるやいなや、それは一つの感覚的であると同時に超感覚的なものになってしまうのである。机は、自分の足で床の上に立っているだけではなく、他のすべての商品に対して頭で立っており、そしてその木頭からは、机が自分かってに踊りだすときよりもはるかに奇怪な妄想を繰り広げるのである。
(岡崎次郎訳)
「感覚的であると同時に超感覚的な」とは人間の五感だけではとらえられないことです(文献1)。
「その木頭からは、奇怪な妄想を繰り広げる」はもとは〈Er entwickelt aus seinem Holzkopf Grillen.〉直訳すると「それは自分の木の頭からコオロギたちを生み出す。」
Grilleは「コオロギ」。比喩的に「むら気、ふさぎの虫」の意をあらわします。複数形Grillenで、話しことばで「妙な考え」の意をあらわします。Grillen in Kopf habenで「妙なことを考えている、ばかげた心配をしている」の意をあらわします。(語義はデイリーコンサイス独和辞典から。)
学術論文でこの箇所を引用したものはあっても、「コオロギたち」に触れたものはありませんでした。
[付記]「木頭」は木でできた頭、木製の頭、でよさそうです。
素材+物をくっつけてつくる日本語は、石~は石橋、石頭、石橋。木~は木箱。木刀(ぼくとう)、木魚(もくぎょ)。ほか、丸木舟。丸太小屋。木管楽器、金管楽器。
[文献]