うとうととして

古典を少しずつ読みます。

少年少女といっしょに隊をつくって作業する既婚婦人は(ディーツ版23巻421頁)

少年少女といっしょに隊をつくって作業する既婚婦人は、「親方」と称して隊全体を雇っている一人の男によって、一定の金額で農業者の使用に任される。これらの隊は、しばしば自分の村から何マイルも離れて移動し、朝晩路上で見かけるところでは、女は短い下着とそれにつりあった上着とを着て、長靴をはき、またときにはズボンをはいていて、非常にたくましく健康そうに見えるが、習慣的な不品行のためにすさんでおり、この活動的で独立的な暮らし方への愛着が家でしなびている自分の子供に与える有害な結果には少しもとんちゃくしない。(『公衆衛生に関する第6次報告書。』、ロンドン、1864年、456頁。『資本論』(ディーツ版23巻421頁)から重引。(岡崎次郎訳。)

 

 なぜ「短い下着」という言い方をするのか? その上から服を着ていたら、見えないではないか?

 

 ひどい道徳的退廃に陥ることなしに瓦工場の煉獄を通り過ぎることは、子供にとっては、不可能である。・・・・・・彼らがほんとうに小さい時から耳にする下品な言葉、彼らを無知粗暴なままで成長させる卑猥で粗野で無恥な習慣は、その後の彼らの生涯を無法、無頼、放縦にする。・・・・・・堕落の恐ろしい根源の一つは、住居の様式である。型造り工 (本来の熟練工で一組の労働者の頭) は、それぞれ、7人から成っている自分の組を自分の小屋に泊めて食事を給する。彼の家族であろうとなかろうと、大人の男も少年も少女もこの小屋で寝る。小屋は普通は2室、ただ例外的に 3室から成っており、すべて一階で、通風はよくない。昼間のひどい発散で身体は疲れ果てているので、健康法とか清潔とか作法などはかまっていられない。これらの小屋の多くは、乱雑と不潔と塵埃とのほんとうの標本である。・・・・・・この種の労働に若い娘を使う制度の最大の害悪は、彼女たちを通例は幼時から以後の全生涯にわたって無頼きわまる仲間に釘づけにしてしまうということである。彼女たちは、自分が女であることを自然から教えられる前に、粗暴な口汚い少年になる。きたならしいぼろを少しばかりまとい、膝からずっと上までむきだしにし、髪も顔も垢まみれにして、彼女たちは、すべての慎みや羞恥の感情を軽蔑することを見習う。 食事時間には地面に寝そべったり、付近の掘り割りで水浴する少年を眺めたりしている。苦しい一日の仕事がやっとすむと、彼女たちはよい服に着替えて男たちといっしょに酒場に出かける。(『児童労働調査委員会。第5次報告書』。1866年。別付16-18頁。『資本論』(ディーツ版23巻488頁)から重引。岡崎次郎訳。)

 

 (第一の引用は農業労働者、第二の引用は工場労働者を描いている違いがありますがそれは置いておきます。)

 この時代では、そもそも女性が人前で足を出すことがはしたないこととされていた、という事情がありそうです。第一の引用では、「女は足が見えるような服を着て、長靴をはき、またときにはズボンをはいていて」ということを言おうとして、「足が見えるような」という表現を避けて、遠回しに「短い下着を着て」と言ったのではないか? と、推測しております。第二の引用の「膝からずっと上までむきだしにし」という表現、また、それに類する表現は余りにあからさまだから、という考えで、ことばを選んだのではないでしょうか。

 

[註] 岡崎次郎訳の少年や少女は、どうしても(今の日本で言うと)小中学生くらいの年代を思い浮かべてしまうが、高校生くらいの年代を指す。

瓦工場:英語版ではtile-field。報告書に当たるとbrickfield(レンガ工場)とある。

煉獄:英語版ではpurgatory。報告書に当たるとordeal(苦しい試練、苦難)とある。