うとうととして

古典を少しずつ読みます。

機械が筋力をなくてもよいものにするかぎりでは(ディーツ版23巻416頁)

(・・・)「どんな人間的心情も」、と報告書は言う、「証言によれば9歳から12歳の少年たちによって行なわれるという労働量のことを考えれば、両親や雇い主のこんな権力乱用はもうこれ以上許されてはならない、という結論にどうしても達せざるをえない。」(ディーツ版23巻273頁。鍵括弧「  」内は『児童労働調査委員会。第4次報告書』から。岡崎次郎訳。)

 

 

機械が筋力をなくてもよいものにするかぎりでは、機械は、筋力のない労働者、または身体の発達は未熟だが手足の柔軟性が比較的大きい労働者を充用するための手段となる。それだからこそ、婦人・児童労働は機械の資本主義的充用の最初の言葉だったのだ! こうして、労働と労働者とのこのたいした代用物は、たちまち、性の差別も年齢の差別もなしに労働者家族の全員を資本の直接的支配のもとに編入することによって賃金労働者の数をふやすための手段になったのである。資本家のための強制労働は、子どもの遊びにとって代わっただけではなく、家庭内での慣習的な限界のなかで家族自身のために行なわれる自由な労働にもとって代わったのである。(ディーツ版23巻416頁。岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

 

機械はまた、資本関係の形式的な媒介すなわち労働者と資本家とのあいだの契約をも根底から変革する。商品交換の基礎の上では、資本家と労働者とが、自由な人として、独立な商品所持者として、一方は貨幣と生産手段との所持者、他方は労働力の所持者として、相対するということが、第一の前提であった。ところが、今では資本は未成年者や半成年者を買う。以前は、労働者は彼自身の労働力を売ったのであり、これを彼は形式的には自由な人として処分することができた。彼は今では妻子を売る。彼は奴隷商人になる。(・・・)(ディーツ版23巻417頁。岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

 

 女性は当時、法的主体でなかった、ということ?

 

(・・・)機械により労働力の売り手と買い手の間の法律関係に革命が引き起こされ、そのために全取引が自由な人と人とのあいだの契約という外観さえ失ってしまうのであるが、この革命はのちにはイギリスの議会に工場制度への国家干渉のための法律上の口実を与えた。(・・・)(ディーツ版23巻419頁。岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

 

 

(・・・)子どもの権利が宣言されざるをえなくなった。(・・・)(ディーツ版23巻513頁。岡崎次郎訳。)

 

 

[註(417頁)] 自由な人としてals freie Personen(自由な人格として)、形式的には自由な人としてals formell freie Person(形式的には自由な人格として)

 

[参考] 『資本論』第一版が出版された時点(1867年)では、まだ男性普通選挙権も実現していなかった。イギリスでは1884年に労働者の大部分が選挙権をもつことになった、イギリスで女性参政権が実現したのは、イギリスでは1918年(ただし男性は21歳以上、女性は30歳以上。男女とも21歳以上となったのは1928年)、ドイツでは1919年、アメリカでは1920年