うとうととして

古典を少しずつ読みます。

もし炭槽が不正に大きくされたならば(ディーツ版23巻522頁)

(5)不正な度量衡。労働者たちは、2週ごとでなく1週ごとの支払、運炭槽の容積によらないで重量による計量、不正な度量衡の使用の防止などを要望する。

(第1071号)「〔質問〕もし炭槽が不正に大きくされたならば、労働者は2週間の予告期間をおいてその鉱山をやめることができるのだろう?---〔答弁〕だがよそに行っても同じことだ。」(第1072号)「〔質問〕それでも、不正が行なわれている所からは去ることができるのだろう?---〔答弁〕不正は一般に行なわれている。」(第1073号)「〔質問〕しかし、労働者は行くさきざきの所から、2週間の予告期間を置いて去ることができるのだろう?---〔答弁〕そうだ。」(ディーツ版23巻522頁。鍵括弧「 」は『鉱山特別委員会報告書。1866年7月23日』からの引用。岡崎次郎訳。亀甲括弧〔 〕内はブログ主。)

 運炭槽または炭槽は、もとのことば(英語)はtub/tubsです。2024年5月4日の記事中で取り上げた箇所にも「炭車」という訳語で出てきます。

 

婦人労働者は 、1842 年以後はもはや地下では使われないが、地上では石炭の積み込みなどや、運河や鉄道貨車まで炭車を引っぱって行くことや、石炭の選別などに使われる。その使用は最近3-4年のあいだに非常にふえた。(第1727号。)(ディーツ版23巻522頁。『鉱山特別委員会報告書。1866年7月23日』から。岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

 

 上野英信氏の著書に炭車が出てきます。

〔前略〕「棹取りが、その明けの日から、ぴたっと炭凾(はこ)をまわさんことするたい。当人が文句を言おうと、役人が何といおうと、ぜったいにを入れてやらんわな。そうなると、ヤマを移るよりほかにみちはなか」

 なるほど、それはそうだ。棹取りは坑内の各採炭現場へを炭車を流し込み、石炭の積まれた炭車を坑外へ捲き上げる運搬夫である。どれほど炭を掘ったところで、炭車がもらえないことには炭は運び出せず、一銭の賃金も支払われない。逃げ出すよりほかに方法はなくなるわけだ。〔後略〕(上野英信『地の底の笑い話』岩波新書、1967年、37頁。太字強調はブログ主。)

 この箇所からは、炭車がかたい言い方、炭凾/凾(はこ)が通称、なのではないか、と思えます(鉱山/ヤマのように)。

 上野氏の著書にはまえがきに「とりあげた笑い話の舞台も九州と山口の炭鉱に限られており、北海道や常磐地方まで足をふまえる余裕がなかった。」とあります。なので北海道や常磐地方では別の言い方があるかもしれません。

 ただ、車輪のない炭槽も、1842年の報告書には記述されています。次に引用した箇所です。なので、tub/tubs全てを炭車とは訳せません。

 

This can be seen by the evidence that this half-fed and hal-clothed lad (...) assists in drawing 2 hundredweights  of coal a distance of 160 yards in a tub without wheels.

(『児童労働調査委員会。第1次報告書。1842年。』172ページ、第736号から。(...) は省略を表わす。太字強調はブログ主。)
食事も満足に摂っておらず、満足な衣服を着てもいないこの若者が(・・・)、車輪のない炭槽に入った 2 ハンドレッドウェイトの石炭を 160 ヤードの距離引くのを手伝っているという証言から、このことはわかるだろう。(ブログ主の訳。太字強調はブログ主。)

[註] 2 ハンドレッドウェイトはおよそ100キログラム。160ヤードはおよそ146メートル。

 炭槽の構造は未確認。せめて橇状の構造になっていないと無理でしょう。

[2024年6月5日追記] 

山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録 新装版』、講談社、2011年(旧版は1967年刊行)を図書館で手に取りました。この本の表紙の絵では、車輪のない炭槽はスラと呼ばれています。橇状の構造になっています。籠に橇がついたのが、バラスラと名が記されています。箱に橇がついたのが、ハコスラと名が記されています。124-125頁見開きの絵には「百二十キロ位つむ」と説明書きがあります。