うとうととして

古典を少しずつ読みます。

工場法 (1864 年) は、(・・・)その〔毒のある〕蒸気が労働者に届かないような「浸し機」の使用を強制した。(資本論第1巻ディーツ版500頁。岡崎次郎訳。)

マッチ製造業は、1833年、燐を直接に軸木につけることの発明に始まる。それは1845年以来、イングランドで急速に発達し、ロンドンの人口稠密な地区、ことにまたマンチェスターバーミンガムリヴァプールブリストル、ノリジ、ニューカスル、グラスゴーに広がったが、それといっしょに、すでに1845年にヴィーンの一医師がマッチ製造工に特有な病気として発見していた首けいれん症も広がった。労働者の半数は13歳未満の子供と18歳未満の少年である。この製造業はその不衛生と不快とのために評判が悪くて、労働者階級のなかでも最も零落した部分、飢え死にしかかっている寡婦などがこの仕事に、「ぼろを着た、飢え死にしそうな、かまい手のない、教育されない子供」を引き渡すだけである。委員ホワイトが(1863年に)尋問した証人のうち、270人は18歳未満、40人は10歳未満、10人はたった8歳、5人はたった6歳だった。12時間から14時間か15時間にもなる労働日の変化、夜間労働、たいていは燐毒の充満した作業室そのもののなかでとられる不規則な食事。ダンテも、こんな工場では、彼の凄惨きわまる地獄の想像もこれには及ばないと思うであろう。

資本論第1巻ディーツ版261頁。岡崎次郎訳。)

 

 

 

(・・・)マッチの製造では、少年たちが、昼めしを呑みおろすあいだにさえも熱い燐混合液の毒気を顔に受けながらそのなかに軸木を浸すということは、自然法則とみなされていた。工場法 (1864 年) は、時間を節約する必要によって、その〔毒のある〕蒸気が労働者に届かないような「浸し機」の使用を強制した。(・・・)(資本論第1巻ディーツ版500頁。岡崎次郎訳。亀甲括弧〔 〕内はブログ主。)

 

 

 わが国にも似た前例あり。

 

わが国はエネルギー価格の高騰や公害関連規制を経て、世界でもトップレベルの環境技術・省エネ技術を培ってきました。規制的手法による政策が、技術革新のきっかけとなった事例として、昭和53年に導入された自動車排ガス規制(日本版マスキー法)が知られています。同規制は、既存の技術では対応しきれない規制基準を設け、強制的に技術を促進させる特徴を有しており、いち早く規制を達成した企業が業界における競争優位を得ることができるものでした。当時は産業界から、自動車産業の対外競争力を失わせるという強い反発が起こったものの、排ガス規制に対する世論の高まりなどにより導入されました。しかし、結果的に我が国の自動車メーカーは当時世界で最も厳しいこの排ガス規制基準を達成し、燃費技術も向上させることで、かえって国際競争力が強化されることとなりました。(『目でみる環境白書』から。第1部第3章第2節 環境技術の普及によるグリーン経済の実現。)