うとうととして

古典を少しずつ読みます。

以前は、資本は、自分にとって必要と思われた場合には(『資本論 第1巻』ディーツ版599頁)

 以前は、資本は、自分にとって必要と思われた場合には(『資本論 第1巻』ディーツ版599頁)

 

 以前は、資本は、自分にとって必要と思われた場合には、自由な労働者にたいする自分の所有権を強制法によって発動させた。たとえば、機械労働者の移住はイギリスでは1815年に至るまで重刑をもって禁止されていた。(『資本論 第1巻』ディーツ版599頁、岡崎次郎訳。下線強調はブログ主による。)

 

 移住が、英国内なのか英国外なのかが気になります。移住は原文ではEmigrationです。Emigrationの語義は手元の独和辞典では「国外移住、(外国への)亡命」とあります(『デイリーコンサイス独和・和英辞典 第2版』)。ということは、マンチェスターからリバプールへ引っ越した、というときにはEmigrationとは言わないようです。

 以上から、岡崎次郎訳に少しだけ手を加えて「たとえば、機械労働者の国外移住はイギリスでは1815年に至るまで重刑をもって禁止されていた。」と解釈します。

 

[2023.6.25.付記]  上記では、辞書に書いてあったから、という理由を付けていました。しかしながら、同じ『資本論』で、次の用例あり。

 

都市への不断の移住、農業借地の集中や耕地の牧場化や機械の採用などによる農村での不断の「人口過剰化」、小屋の破壊による農村人口の不断の追い立て、これらのことが手に手を携えて進んで行く。 (『資本論 第1巻』ディーツ版720頁、岡崎次郎訳。下線強調はブログ主による。)

 

一方では、毎年アメリカに向けて追い出される絶えまない大きな人間の流れは、合衆国の東部に停滞的な沈澱を残している。というのは、ヨーロッパからの移民の波がたくさんの人間を、西への移民の波が彼らを洗い流すことができるよりももっと速く東部の労働市場に投げ込むからである。  (『資本論 第1巻』ディーツ版801頁、岡崎次郎訳。下線強調はブログ主による。)

 

 ディーツ版599頁のEmigrationは国外移住と解釈してよい。一方、720頁のEmigration、801頁の二つめのEmigrationは国内への移住でしょう。なので、辞書にあるような国外移住の意味になることが多いけれども、国内の移住の意味になることもある、と考えておかないといけません。