うとうととして

古典を少しずつ読みます。

労働者たちは団結しなければならない(『資本論 第1巻』ディーツ版319-320頁)

 

われわれの労働者は、彼が生産過程にはいったときとは違った様子でそこから出てくることを、認めざるをえないであろう。市場では彼は「労働力」という商品の所持者として他の商品所持者たちに相対していた。つまり、商品所持者にたいする商品所持者としてである。彼が自分の労働力を資本家に売ったときの契約は、彼が自由に自分自身を処分できるということを、いわば白紙の上に墨くろぐろと証明した。取引がすんだあとで発見されるのは、彼が少しも「自由な当事者」ではなかったということであり、自分の労働力を売ることが彼の自由である時間は彼がそれを売ることを強制されている時間だということであり、じっさい彼の吸血鬼は「まだ搾取される一片の肉、一筋の腱、一滴の血でもあるあいだは」手放さないということである。彼らを悩ました蛇にたいする「防衛」のために、労働者たちは団結しなければならない。そして、彼らは階級として、彼ら自身が資本との自由意志的契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態とに売り渡すことを妨げる一つの国法を、超強力な社会的障害物を、強要しなければならない。「売り渡すことのできない人権」のはでな目録に代わって、法律によって制限された労働日というじみな大憲章が現われて、それは「ついに、労働者が売り渡す時間はいつ終わるのか、また、彼自身のものである時間はいつ始まるのか、を明らかにする」のである。なんと変わりはてたことだろう!〔Quantum Mutatus ab illo!〕
(『資本論 第1巻』ディーツ版319-320頁、岡崎次郎訳。亀甲括弧〔 〕内は岡崎次郎による。太字強調はブログ主による。)

 

労働者たちは団結しなければならない」は原文ではdie Arbeiter müssen ihre Köpfe zusammenrottenです。英語版ではthe labourers must put their heads togetherです。
手元の英和辞典(『新クラウン英和辞典 第4版』)では“lay (or put) heads together 集まって協議(相談)する”とあります。手元の独和辞典ではこれにあたる熟語はみつからず。 エンゲルスの言うところの「英語ふうの語法」(資本論第1巻第3版の序文)なのかもしれません。つまり、英語の表現から借りてきた表現なのかもしれません。
(この項、続く。)

 

[2023.6.11.付記]

イングランドの南部地方では、何人かの土地所有者地主と富裕な借地農業者が額を集めて、エリザベス救貧法の正しい解釈に関する10の質問を作成し、それを当時の有名な法律家、上級法廷弁護士スニッグ(後にジェームズ1世のもとで判事)に提出して意見を求めた。(『資本論 第1巻』ディーツ版794頁の註197、岡崎次郎訳。)

何人かの土地所有者地主と富裕な借地農業者が額を集めて」はsteckten verschiedne Grundeigentümer und wohlhabende Pächter die Köpfe zusammenです。英語版では certain landed proprietors and well-to-do farmers put their heads togetherです。

手元の英英辞典(Oxford Asvanced Lerner`s Dictionary of Current English Seventh Edition)では”put out/your/their heads together”の意味として” to think about or discuss something as a group”とあります。