うとうととして

古典を少しずつ読みます。

本来の商業民族は、エピクロスの神々のように(ディーツ版第1巻93頁)

(I 93)〔前略〕本来の商業民族は、エピクロスの神々のように、またはポーランド社会の気孔のなかのユダヤ人のように、ただ古代社会のあいだの空所に存在するだけである。〔後略〕 

 今回、すべて岡崎次郎訳です。(Ⅰ93)は第1巻のディーツ版93頁を表します。〔前略〕、〔後略〕は、ひとつの段落の中で途中から引用を始めたときに〔前略〕と、ひとつの段落の途中で引用をやめたときに〔後略〕と、それぞれ記しています。太字強調はすべてブログ主によります。

 気孔ということばで、私は植物の気孔がまず思い浮かびます。というか、初めてこの箇所を読んでから20年以上、植物の気孔しか思い浮かびませんでした。

きこう 気孔 葉の表皮にあるレンズ状の形をした孔。若い茎や花弁にもある。呼吸ならびに炭酸同化のガス交換と蒸散の水蒸気の通路となっている。〔後略〕」(『三省堂生物小辞典第4版』から)

 植物の気孔のことであるとすると、どうもピタッとイメージが合いません。一方、「軽石 気孔」でネットで検索すると、軽石の小さな穴のことも気孔というそうです。

 資本論での、もとのことばはPore/Poren(複数形がPoren)です。手元の辞書では「毛穴、汗孔;(軽石などの)細かな穴」(三修社『新アルファ独和辞典』)とあります。

 資本論でPore/Porenを探すといくつかあります。岡崎次郎訳では、気孔、すきま、毛穴と訳されています。(Ⅰ788)を除くと、「気孔」とある箇所を「すきま」と置き換えても十分ぴったりきます。マルクス岡崎次郎先生も、植物の気孔ではなくて軽石の小さな穴(あるいは似たもの)を思い浮かべてPore/Poren、また気孔ということばを選んだと思われます。

 

(I 361)〔前略〕ある一つの作業から別の作業に移ることは、彼の労働の流れを中断し、いわば彼の労働日のなかのすきまをなしている。彼が一日じゅう同じ一つの作業を続けて行うようになれば、これらのすきまは圧縮されるか、または彼の作業の転換が少なくなるにしたがってなくなってゆく。〔後略〕

 

(I 432)〔前略〕ところが、生産力の発展と生産条件の節約とに大きな刺激を与える強制的な労働日の短縮が、同時にまた、同じ時間内の労働支出の増大、より大きい労働力の緊張、労働時間の気孔のいっそう濃密な充填、すなわち労働の濃縮を、短縮された労働日の範囲内で達成できるかぎりの程度まで、労働者に強要することになれば、事態は変わってくる。〔後略〕

 

(Ⅰ788)〔前略〕もしも貨幣は、オジエの言うように、「ほおに血のあざをつけてこの世に生まれてくる」のだとすれば、資本は、頭から爪先まで毛穴という毛穴から血と汚物とをしたたらせながら生まれてくるのである。

 

(Ⅲ342)古代の商業民族は、いろいろな世界のあいだの空所にいたエピクロスの神々のように、またはむしろポーランド社会の気孔のなかに住むユダヤ人のように、存在していた。  最初の独立な大規模に発達した商業都市や商業民族の商業は、純粋な仲介業者として、生産をする諸民族の未開状態にもとづいていたのであって、彼らはこれらの民族のあいだで媒介者の役を演じたのである。

 

(Ⅲ612)〔前略〕高利はいわば生産の気孔のなかに住むのであって、ちょうど、エピクロスによれば神々が世界と世界とのあいだの空所に住んでいるようなものである。〔後略〕

 

 

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[付記]  穴を表すドイツ語には他にLoch/Löcherがあります。(複数形がLöcher。)

(Poreは小さなLoch、ということのようです。Eine Pore ist ein kleines Loch.)

 植物の気孔はドイツ語ではStoma/Stomata(Stomataが複数形)です。またSpaltöffnung/Spaltöffnungen(Spaltöffnungenが複数形)も植物の気孔を表します。