うとうととして

古典を少しずつ読みます。

頭から爪先まで毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながら(資本論、ディーツ版788頁)

  文言から頭に浮かぶことと著者の描こうとしたことが合っているのか、ズレてはいないか、と疑問に思うことがあります。そういう箇所を、翻訳文と原文をつき合わせたり、別の翻訳を参照したりして、探っていきます。

 

 もしも貨幣は、オジエの言うように、「ほおに血のあざをつけてこの世に生まれてくる」のだとすれば、資本は、頭から爪先まで毛穴という毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくるのである。

 岡崎次郎訳、国民文庫

 汚物とは、何かしら。パッと聞くと、糞便や吐物が頭に浮かびます。

 原文はblut- und schmutztriefend。Blut(ブルート)は血。

 Schmutz(シュムッツ)は不潔な物、汚れ、汚物、ごみ、泥、埃、糞。(訳語はデイリーコンサイス独和辞典から。)

 形容詞はschmutzig(シュムッツィヒ)。デイリーコンサイス独和辞典によれば、不正な、いかがわしい、怪しげな、という意味もあり。

 次の1853年の論説の文言は、参考になります。

これまでブルジョアジーは、個人をも全人民をも、血とのなか、悲惨と堕落のなかを引きずることなく、一つの進歩でもなしとげたことがあるか?

 (マルクス「イギリスのインド支配の将来の結果」、『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』1853年8月8日付に掲載)(大月書店マルクス・エンゲルス全集9巻、ディーツ版224頁、鈴木正四訳)

 この箇所をふまえ、血が悲惨のたとえ、泥あるいは汚物が堕落のたとえ、と考えると、資本論中の「血と汚物をしたたらせながら」もうなずけます。意味をとって「資本は悲惨や堕落を伴って生まれてくるのである」ととってよさそうです。

 

[付記] マルクスは、1849年に英国に亡命しました。1850年代、米国の新聞『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』の特派員であったとのことです。英国では1859年にディケンズ二都物語』が公刊されています。

 1850年代は、新聞や雑誌による報道において特派員が人気を博した時代だ。特派員によって「語られる」記事は、それまでの単調な情報よりも読者を惹きつけた。蒸気機関を利用した印刷機が導入された1810年代ではなく、1850年代に各新聞の売上が急増したことからも、その重要性がうかがえる。(1)

 

[2023.8.28.付記] ドイツ語では「血と汚物」も「血と泥」も、いずれも Blut und Schmutz です。

 

[引用文献] 

(1)原田 昂(はらだ・たかし)(2021)、A Tale of Two Citiesにおいて物語化される体験と群衆形成 ―19世紀の報道特派員の手法をめぐって、英米文化、51:1-16。

[参考文献] 富沢賢治(1968)、マルクスのイギリス植民地主義批判、経済研究(19)1:77-82。