うとうととして

古典を少しずつ読みます。

男女の子供はほかのだれにたいしてよりも彼ら自身の親にたいして保護される必要があるということは(ディーツ版23巻513頁。)(続き)

 2024年5月27日の記事の続きです。

 

But more especially would such legislation be a protection and benefit to the great numbers of very young children who, in many branch of manufacture, are kept at protracted and injurious labour in small, crowded, dirty, and ill-ventilated places of work, by their parents.『児童労働調査委員会。第5次報告書。1866年。』別付25ページ、第161号。(ディーツ版23巻513頁。岡崎次郎訳。)

 

しかし、多くの製造部門で、狭く、込み合った、汚く、換気の悪い作業場で、長時間の有害な労働を、親たちによってさせられている多数の非常に幼い子どもたちにとってこそ、特にこのような法律は保護となり利益となるであろう。(ブログ主による訳。)

 

男女の子供はほかのだれにたいしてよりも彼ら自身の親にたいして保護される必要があるということは(ディーツ版23巻513頁。)

不幸なことであるが、男女の子供はほかのだれにたいしてよりも彼ら自身の親にたいして保護される必要があるということは、証言の全体から見て明らかである。(『児童労働調査委員会。第5次報告書。1866年。』別付25ページ、第162号。(ディーツ版23巻513頁。岡崎次郎訳。)

 

この引用箇所の前後を読もうと試みています。

 

In all the above it would be greatly to the benefit of the health, comfort, and means of improvement of a very large body of children, young persons, and women if the protection of the law could be so far extended to them as to ensure for them moderate and regular hours of work, and an improved sanitary condition of their places of work.  (『児童労働調査委員会。第5次報告書。1866年。』別付25頁、160号。)

 

[1] In all the above は、第159号であげられた製造業の諸部門を指す。

[2] (・・・) it would be greatly to the benefit  (・・・) の it は、if the protection of the law で始まる節全体を指す。

[3] (・・・) could be so far extended to them (・・・) のthem は、第159号であげられた製造業の諸部門を指す。

---と考えました。訳文は次の通り。

 

上記の製造業の諸部門すべてに法の保護が拡張されて、適度かつ規則正しい労働時間と作業場のより良い衛生状態が保証されれば、これら諸部門において、そのことは非常に多くの児童、少年、婦人の健康、安楽さ、改善手段に大いに有益であろう。(ブログ主による訳。)

 

[2] のように it がif節を指している例は一つ見つかりました。

In 1833 they had howled out in threatening fashion, “if the liberty of working children of any age for 10 hours a day were taken away, it would stop their works.”(絹工場主の主張。ディーツ版23巻309-310頁。サミュエル・ムーアとエドワード・エイブリングによる英訳。)

1833年には彼らは脅迫するようにほえたてた、「もし何歳の子供でも一日に10時間ずつ働かせてよいという自由を自分たちから奪うならば、それは自分たちの工場を休止させることだ」と。岡崎次郎訳。)

 

 

鉱山労働者たちは、(・・・)子供たちの強制教育のための法律があることを要望している(ディーツ版23巻520-521頁)。

 今回取り上げるのは、英訳の中の(おそらく)ミスです。

The working miners want a law for the compulsory education of their children, as in factories. They declare the clauses of the Act of 1860, which require a school certificate to be obtained before employing boys of 10 and 12 years of age, to be quite illusory. The examination of the witnesses on this subject is truly droll.  (ディーツ版23巻520-521頁。サミュエル・ムーアとエドワード・エイブリングによる英訳。太字強調はブログ主。)

鉱山労働者たちは、工場でと同じように子供たちの強制教育のための法律があることを要望している。彼らは、10-12歳の少年を使用するには教育証明書が必要だという1860年の法律の条項はただの妄想だという。岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

 

 

 ディーツ版23巻520-521頁の英訳の太字強調箇所は、もとのままでは、「10歳と12歳の少年たち」という意味になってしまいます。一定の年齢の幅が出てこないとおかしいです。なので、以下のように言い換えて解釈します。

 The working miners want a law for the compulsory education of their children, as in factories. They declare the clauses of the Act of 1860, which require a school certificate to be obtained before employing boys of from 10 to 12 years of age, to be quite illusory. The examination of the witnesses on this subject is truly droll.  (太字強調箇所はブログ主が手を加えています。)

 

 

[参考] of from A to B と、前置詞がふたつ並ぶのは見慣れないのですが、いくつも用例がみつかります。

 

“It is impossible,” the report continues, “for any mind to realise the amount of work described in the following passages as being performed by boys of from 9 to 12 years of age ... without coming irresistibly to the conclusion that such abuses of the power of parents and of employers can no longer be allowed to exist.” (太字強調はブログ主。)

「どんな人間的心情も」と報告書は言う、「証言によれば9歳から12歳の少年によって行われるという労働量のことを考えれば、両親や雇い主のこんな権力乱用はもうこれ以上許されてはならない、という結論にどうしても達せざるをえない。」(ディーツ版23巻273頁。岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

 

 

 

The “open-air bleachers” had evaded the law of 1860, by means of the lie that no women worked at it in the night. The lie was exposed by the Factory Inspectors, and at the same time Parliament was, by petitions from the operatives, bereft of its notions as to the cool meadow-fragrance, in which bleaching in the open-air was reported to take place. In this aerial bleaching, drying-rooms were used at temperatures of from 90° to 100° Fahrenheit, in which the work was done for the most part by girls. (太字強調はブログ主。)

「屋外漂白業者」は婦人には夜間労働をさせていないといううそによって、1860年の漂泊業に関する法律の適用を免れていた。このうそは工場監督官によってあばかれたが、同時に、議会は、労働者の請願によっても、草原の清涼と結びついた「屋外漂白業」の関連を取り去られた。この屋外漂白業では、華氏の90度から100度の乾燥室が使用されていて、そこではおもに少女が労働している。(ディーツ版23巻314頁・註185。岡崎次郎訳。(太字強調はブログ主。

 

Those small and extremely ancient Indian communities, some of which have continued down to this day, are based on possession in common of the land, on the blending of agriculture and handicrafts, and on an unalterable division of labour, which serves, whenever a new community is started, as a plan and scheme ready cut and dried. Occupying areas of from 100 up to several thousand acres, each forms a compact whole producing all it requires. (・・・)(太字強調はブログ主。)

たとえば、部分的には今日なお存続しているインドの太古的な小共同体は、土地の共有と、農業と手工業との直接的結合と、固定した分業とを基礎としており、この分業は新たな共同体の建設にさいしては与えられた計画及び設計図として役だっている。このような共同体は自給自足的な生産的全体をなしていて、その生産領域は100エーカーから数千エーカーに至るまで様々である。(・・・)(ディーツ版23巻378頁。岡崎次郎訳。(太字強調はブログ主。)

 

 

 

 

”(・・・)The requisite number of hours is made up each six months, by instalments consisting of from 3 to 5 hours at a time, spreading over, perhaps, the whole six months.... For instance, the attendance on one day might be from 8 to 11 a.m., on another day from 1 p.m. to 4 p.m., and the child might not appear at school again for several days, when it would attend from 3 p.m. to 6 p.m.; then it might attend for 3 or 4 days consecutively, or for a week, then it would not appear in school for 3 weeks or a month, after that upon some odd days at some odd hours when the operative who employed it chose to spare it; and thus the child was, as it were, buffeted from school to work, from work to school, until the tale of 150 hours was told.”

「(・・・)所要の時間数は、6か月にわたる一期間ごとに、おそらく6か月のあいだに分散されている一度に3時間から5時間までの分割払いによって、満たされる。たとえば、ある日は午後8時から11時まで、また別のある日は午後1時から4時まで学校にきていて、それから子供は再び何日か欠席したあとで、突然また午後3時から6時までやってくる。次にはたぶん3日か4日続けて、または1週間も、やってくるが、その後また3週間かまる1か月も見えなくなり、そして、たまたま雇い主が子供を必要としない何日かのはんぱな日に、何時間かの余りの時間だけ帰ってくる。こうして、子供は、150時間がなしくずしにすまされるまで、学校から工場へ、工場から学校へと、いわばこづきまわされるのである。」(ディーツ版23巻424頁。岡崎次郎訳。)

 

 

 

立法があるにもかかわらず、今でも大ブリテンでは少なくとも2000人の少年が(ディーツ版23巻419頁。)

(・・・)立法があるにもかかわらず、今でも大ブリテンでは少なくとも2000人の少年が生きている煙突掃除機として(彼らに代わる機械があるのに)彼ら自身の親たちによって売られるのである[126]。(・・・)

[註126] 同前『第5次報告書』〔『児童労働調査委員会第5次報告書。1866年』〕別付22ページ、第137号。(ディーツ版23巻419頁。岡崎次郎訳。亀甲括弧〔 〕内はブログ主。)

 

 岡崎次郎訳の用語法(訳語の選択)では少年は多くの場合13歳から18歳までを指します。つまり、現代日本でおおよそ中学生から高校生にあたります。なので、そのようにイメージしていました。しかしながら、原文にあたると、少年たちはほとんど全てが5歳から10歳まででした。つまり、むしろ岡崎次郎訳の用語法では児童にあたります。

 原文は次の通り。(GoogleBooksで下記の一部をコピーアンドペーストして検索すると探し当てられます。)

The main facts are that there is an estimated number of at least 2,000 boys, nearly all between the ages of 5 and 10, still employed in climbing  chimneys in various towns and counties in England; that these boys suffer greatly, physically and morally; that the disgraceful scandal continues of  children of tender age being sold by their parents for the purpose of this employment; that master sweeps resort in numberless instances to dishonest practices in order to produce an impression that the sweeping machines fails of its effect, and they club together to pay the small penalties which the magistrates in so many cases inflict, and thus set the penalties of the law at nought.(太字強調はブログ主。)

 

主たる事実は以下の通りである。少なく見積もって2000名の少年たち(ほぼすべて5歳と10歳の間の年齢)がイングランドのさまざまなや町や州で、いまだに煙突掃除のために雇用されていること、これらの少年たちは身体的にも精神的にも大変苦しんでいること、幼い年齢の児童が、この雇用という目的のために自分たちの両親によって売られるという恥ずべき不祥事が続いていること、掃除親方が掃除のための機械は役に立たないという印象作りのために数知れない場面で不正直な行為に訴えたこと、掃除親方たちが協力してかなり多くの事例で判事が科した少額の罰金を支払うことで法の罰金を無効にしたこと、である。(ブログ主の訳。太字強調はブログ主。)

 

[2024年6月18日追記][参考] 労働日のところで、工場主たちが労働日延長の衝動に駆られて法令を破る話が出てきます。

「法定時間を越える過度労働によって得られる特別利潤は、多くの工場主にとって抵抗しうるには大きすぎる誘惑に思われる。彼らは、見つからないという幸運をあてにしており、また発覚した場合でも罰金や裁判費用はごくわずかなので彼らには差し引き利益が保証されているということをあて込んでいる。」工場監督官報告書1856年10月31日34ページ。(ディーツ版23巻256-257頁。岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

 

 

 

 

『児童労働調査委員会。第3次報告書』第194号、別付26ページの訳の訂正。

第194号の後半部分は次の通り。

 It would only be a proper supplement to the measure which forbid the employment of female in mines, to forbid it also on the pit-banks and on the coke heaps. Their employment, as at present existing, about the furnaces and mills, by night, would be put a stop to by those places of work being subjected, as proposed, to the Factory Acts.Google Books で、第194号の後半部分を補った。斜体で強調した箇所は、原文ではイタリック体で強調されている。)

 下記は、第194号後半部分をブログ主が訳したものです。2024年5月4日の記事に載せたものです。

 

 ボタ山やコークス置き場でも婦人の雇用を禁止することは、坑での婦人の雇用を禁止する処置の、適切な補足にすぎないであろう。提案されているように、工場法の適用を受けるこれらの職場は、現在存在しているような、炉や工場周囲での婦人の夜間の雇用をやめることになるであろう。(ブログ主訳。)

 

 この訳文では「those places of workこれらの職場=the pit-banks and the coke heapsボタ山やコークス置き場」ととっています。しかし、ボタ山に工場法が適用されて炉や工場周囲での婦人の夜間の雇用にどうつながるのか見えません。なので、「those places of workこれらの職場= the furnaces and mills炉や工場」ととるのが妥当のようです。

 by those places of work being subjected・・・.

で、現在分詞being subjectedがthose places of workingを後ろから修飾している、ととっていました。そうでなくて、動名詞being subjectedの意味上の主語がthose places of work、ということのようです。

 このように考え、Their employmentで始まる文の訳文を訂正しました。

 

炉や工場の周囲での婦人の夜間の雇用は、現在は存在しているが、これらの職場が、提案されているように、工場法の適用を受けることによって中止されることだろう。(ブログ主訳。)

 

[参照した文献]

『ロイヤル英文法 改訂新版』の、参考欄 新・旧情報と受動態(570頁)、§248動名詞の意味上の主語(530-531頁)。

綿貫陽、宮川幸久、須貝猛敏、高松尚弘、マーク・ピーターセン、『ロイヤル英文法 改訂新版』、旺文社、2000年。

 

机は、自分の足で床の上に立っているだけではなく、他のすべての商品に対して頭で立っており(ディーツ版23巻85頁)

商品は、一見、自明な平凡なものに見える。商品の分析は、商品とは非常にへんてこなもので形而上学的な小理屈と神学的な小言でいっぱいなものであることを示す。商品が使用価値であるかぎりでは、その諸属性によって人々の諸欲望を満足させるものだという観点から見ても、あるいはまた人間労働の生産物としてはじめてこれらの属性を得るものだという観点から見ても、商品には少しも神秘的なところはない。人間が自分の活動によって、人間に有用な仕方で自然素材の形態を変化させるということはわかりきったことである。たとえば、材木で机をつくれば、材木の形は変えられる。それにもかかわらず、机はまだ材木であり、ありふれた感覚的なものである。ところが、机が商品として現れるやいなや、それは一つの感覚的であると同時に超感覚的なものになってしまうのである。机は、自分の足で床の上に立っているだけではなく、他のすべての商品に対して頭で立っており、そしてその木頭からは、机が自分かってに踊りだすときよりもはるかに奇怪な妄想を繰り広げるのである。(ディーツ版23巻85頁。岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

 

 2021年9月26日の記事で取り上げた箇所です。ここで、なぜ机が踊るのか? 気になります。

 マルクス「中国問題」(1862年)に「机がおどりはじめる」という文言あり。

机がおどりはじめるちょっと前に、中国、この生きた化石が、革命化しはじめた。」(ディーツ版15巻514頁。高橋勝之訳。)

 訳者註として次のようにあります。

 中国のドイツ名Chinaは、普通名詞としては「陶器」の意である。ここは、当時ヨーロッパで流行していたこっくりさんの迷信をあてつけたもので、陶器をのせた机が動きだすまえに陶器だけが動きだすということと、ヨーロッパが1850年代の反動のうちに低迷していたときに、中国の太平革命が新しい革命期の先触れとなったということをかけたしゃれ。(日本語版の訳註。)

 こっくりさんは英語でtable-turningというらしいです。またドイツ語ではTaschrücken というらしいです。

 手元の辞書『エクシード英和・和英辞典 第2版』には「table turning (降霊術の)テーブル傾転」とあります。

 手元の辞書『小学館独和大辞典』には「Taschrücken 机が動くこと(質問に対して机の動きが解答を与える心霊現象)」とあります。

 

 「机が踊りだす」が降霊術のことを指すことは、19世紀であったら通じたのでしょうが、現在では通じません。脚註ならぬギャグ註(Ⓒみなもと太郎)が必要です。

 

 

 

では、製鉄所で働く女性と鉱山で働く女性とのあいだにはどんな違いがあるのか?(ディーツ版23巻522頁)

(第1740号。)では、製鉄所で働く女性と鉱山で働く女性とのあいだにはどんな違いがあるのか? ---そういう問題は考えたことがない。(『鉱山特別委員会報告書。付・・・・・・証言資料。1866年7月23日』。ディーツ版23巻522頁。岡崎次郎訳。)

 

 女性の地下労働はこの時点では禁止されているはずなので(前項参照)、原文を確認してみます。

 報告書原文は以下の通り。

1740. Can you see any difference in the circumstances of women employed in ironworks and the circumstances of women employed above ground in collieries? ---I have not ascertained anything as to that.(太字強調はブログ主。)

 原文では、地上で、ということを示す文言があります。原文から翻訳してみます。ただ、できるだけ岡崎次郎訳を踏まえます。

 

(第1740号。)では、製鉄所で働く女性の状況と炭坑の地上部門で働く女性の状況とのあいだにはどんな違いがあるのか? ---そのことについては確かめたことがない。(ブログ主による翻訳。太字強調はブログ主。)