うとうととして

古典を少しずつ読みます。

どんなに過度労働がロンドンの製パン工をかたづけてしまうか(ディーツ版282頁)

われわれは、どんなに過度労働がロンドンの製パン工をかたづけてしまうかを聞いたが、それでもなお、ロンドンの労働市場ドイツ人や他の命がけの製パン業志願者であふれているのである。

(岡崎次郎訳)

 

 英国にドイツからの(また他の地域からの)移民が多くいる、ということを言っています。ヨーロッパからヨーロッパへの移民、ということ自体、知らずにいました。

イギリスには歴史的に様々な国から外国人が流入していたが、19世紀末になると東欧出身の外国人の流入が急増した。〔中略〕外国人の流入によって在英外国人の人口規模が拡大して人口構成も大きく変化し、特に最大の「外国人都市」であった首都ロンドンでは最も多い外国人がドイツ出身者から東欧出身者へと交代したのである。

(文献1)(引用にあたりゴチック体で強調しています。)

 19世紀末までは、首都ロンドンでは、最も多い外国人はドイツ出身者であった、とのことです。

 イギリス全国では、1891年から1901年に外国人の人口が19万8千人から24万8千人に増加し、そのうち東欧出身の外国人は4万5千人から8万3千人に増加した。そしてロンドンでは、外国人の人口が9万5千人から13万5千人に増加し、そのうち東欧出身の外国人は2万7千人から5万4千人に増加した。それに対してドイツ出身の外国人は2万7千人でほとんど増加していなかった。

(文献1の注14(1894年、1915年の英国議会文書から))

 

 マルクスが英国のロンドンに後半生ずっと暮らしていたのですが、どうして英国を選んだのか、背景が少しわかってきました。

 

[付記]  

 Panikos Panay(1995), German Immigrants in Britain During the 19th Century, 1815-1914, Berg Publishersという本があり、まるごとドイツから英国への移民にあてられている。これは、文献1の著者・齋藤先生の別の論文(文献2)で引用されている。日本語訳はまだ出版されていない。2010年に出版された別の本は、2016年、日本語訳が出版されている。

パニコス・パナイー著、浜井 祐三子・溝上宏美訳、( 2016[原著2010])『近現代イギリス移民の歴史 寛容と排除に揺れた200年の歩み』、人文書院

 当分は読まないでしょうがメモしておきます。

 

[文献〗

文献1)齋藤 翔太朗(2013)、19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリスにおける「外国人問題」の発生 : 1905年外国人法の前提として、社会経済史学 79(2):235-252。

 

文献2)齋藤翔太朗 (2016)、 20 世紀初頭のイギリスにおける移民政策と福祉社会 「『他者』 としての外国人」 についての一試論、ヨーロッパ文化史研究 17:101-117。