うとうととして

古典を少しずつ読みます。

ひとたび、使用価値として役立つ場所に達すれば、商品は、商品交換の部面から消費の部面に落ちる。(『資本論』ディーツ版23巻119頁。)

 今回、岡崎次郎訳、一部変更した訳文、ドイツ語原文の修飾語を取り去って構文を簡単にしたもの、の順に記しています。

「落ちる」「脱落する」が資本論第1巻第3章に何回か登場するのですが、例えば一つめの引用では、商品交換の部面と消費の部面とに優劣があるわけでないので、「脱落する」というのは妥当でない、と思います。原文ではfällt<fallenまたはその派生語です。

 岡崎次郎訳では、ドイツ語のfallenを、落ちる、脱落する、と訳しています。

 ドイツ語のfallenは英語のfallにあたります。英語のfallは、fall in love、fall asleepのように、落ちる、という意味でなくて「~という状態に移る」という意味を表わすことがあります。

 手元の独和辞典(クラウン独和辞典第3版)を開くとfallenの項に「⑫...に陥る, ...になる.」とあります。また「⑥((急激な動作を示して))」とあります。

 なので、fallenは、ここでは、落ちるのではない、場所が移るのだ、と訳してよさそうです。

 

ひとたび、使用価値として役立つ場所に達すれば、商品は、商品交換の部面から消費の部面に落ちる(ディーツ版23巻119頁。岡崎次郎訳。)

⇒「商品交換の部面を出て消費の部面にはいる。」でよいのではないか?

Die Ware fällt in die Sphäre der Konsumtion aus der Sphäre des Warenaustauschs. 

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それだから、流通過程はまた、直接的生産物交換のように使用価値の場所変換または持ち手変換によって消えてしまうものでもない。貨幣は、最後には一つの商品の変態列から脱落するからといって、それで消えてしまうものではない。それは、いつでも、商品があけた流通場所に沈澱する。たとえばリンネルの総変態、リンネル---貨幣---聖書では、まずリンネルが流通から脱落し、貨幣がその場所を占め、次には聖書が流通から脱落し、貨幣がその場所を占める。商品による商品の取り替えは、同時に第三の手に貨幣商品をとまらせる。流通は絶えず貨幣を発汗している。(ディーツ版23巻126-127頁。岡崎次郎訳。)

⇒「最後には一つの商品の変態列から脱け出るからといって」、「まずリンネルが流通から脱け出て」、「次には聖書が流通から脱け出て」でよいのではないか?

Es fällt aus der Metamorphosenreihe einer Ware heraus . 

Die Leinwand fällt aus der Zirkulation. 

Die Bibel fällt aus der Zirkulation.

[註]] 分離動詞herausfallen.

 

それと同時に、商品の使用姿態は流通から脱落して消費にはいる。その場所を商品の価値姿態または貨幣仮面が占める。流通の後半を、商品はもはやそれ自身の自然の皮をつけてではなく金の皮をつけて通り抜ける。それとともに運動の連続性はまったく貨幣の側にかかってくる(ディーツ版23巻129-130頁。岡崎次郎訳。)

⇒「商品の使用姿態は流通から脱け出て消費にはいる」でよいのではないか?

Ihre Gebrauchsgestalt fällt aus der Zirkulation heraus, in die Konsumtion.

Die Kontinuität der Bewegung fällt auf die Seite des Geldes.

[註]] 分離動詞herausfallen.

[付記] ネット上のwww.mlwerke.のドイツ語版では上記引用文中のder Zirculationの前のausが脱落している。

 

どの商品も、流通への第一歩で、その第一の形態変換で流通から脱落し、そこには絶えず新たな商品がはいってくる。(ディーツ版23巻131頁。岡崎次郎訳。)

⇒ 「どの商品も、流通への第一歩で、その第一の形態変換で流通から脱け出て」でよいのではないか?

Jede Ware fällt aus der Zirkulation heraus.

[註] 分離動詞herausfallen.

 

国内流通部面から外に出るときには貨幣は価格の度量標準や鋳貨や補助通貨や価値章標という国内流通部面でできあがる局地的な形態を再び脱ぎ捨てて、貴金属の元来の地金形態に逆もどりする(ディーツ版23巻156頁。岡崎次郎訳。)

Das Geld fällt in die ursprüngliche Barrenform der edlen Metalle zurück.

[註] 分離動詞zurückfallen.

 

商品が何度も繰り返して売られる場合、といっても、それはここではまだわれわれにとって存在しない現象なのであるが、そのような場合にも、最後の決定的な売りによって商品は流通の部面から消費の部面に落ちて、そこで生活手段または生産手段として役立つのである。(ディーツ版23巻129頁・註74。岡崎次郎訳。)

⇒「商品は流通の部面を出て消費の部面に入って」でよいのではないか?

Sie fällt aus der Sphäre der Zirkulation in die der Konsumtion.

 

 

 

イギリスの枢密院医務官で『公衆衛生』に関する報告書の主任編集者であるドクター・サイモンは(ディーツ版23巻421頁。岡崎次郎訳。)

 

 イギリスの枢密院医務官で『公衆衛生』に関する報告書の主任編集者であるドクター・サイモンは次のように言っている。「それによって生み出される害悪を知っているために成年婦人のいっさいの包括的な産業的使用を私が強い嫌悪の念を持って見るのもやむをえないことであろう。」(ディーツ版23巻421頁。岡崎次郎訳。)

 

 ドクター・サイモンの名前の読み方ですけれどもシモーンと呼ばれていたそうです。

 

 Simonは家系にちなんでフランス語調で呼ばれていたと伝えられており、本稿では「シモーン」と表記する。A. Newsholme,  Fifty Years in Public Health, London, 1934.p.74参照。(永島剛(2022)註2。)

 

永島 剛(2002), 19世紀末イギリスにおける保健行政 : ブライトン市衛生当局の活動を中心として, 社会経済史学 68(4):401-422 

非常にさまざまな種類の軽い模様つきの趣味品までが織られていた織物部では(ディーツ版23巻434頁)

これに反して、非常にさまざまな種類の軽い模様つきの趣味品までが織られていた織物部では、客体的な生産条件にはまったくなんの変化も起きなかった。(『1844年および1845年4月30日に終わる四半期の工場監督官報告書』を踏まえて記述した箇所。ディーツ版23巻434頁。岡崎次郎訳。)

趣味品:Phantasieartikel。

 

 趣味品とは何か。気になります。Phantasieということばについて、手元の独和辞典(『クラウン独和辞典第3版』)では、しっくりくる日本語の言葉が出てきません。

 マルクスが引いている 『1844年および1845年4月30日に終わる四半期の工場監督官報告書』の19頁に次の箇所あり。

 The quality of the yarn  spun varies from 36 to 130 hanks in the pound, and  great variety of light, figured, and fancy articles are woven.

 紡がれる糸の品質は1ポンドの綿あたり36かせから130かせにわたり、また、非常にさまざまな種類の軽い模様つきの趣味品までが織られていた。(前半はブログ主の訳、後半は岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

(なお前半は1ポンドの繊維からどれだけの長さの糸をつくるかで糸の太さを示すやりかたがあるので、それで、この工場で作っている糸の太さがこれこれからこれこれまでです、と言っているようです。)

「ファンシー」というと小中学生のときのファンシーグッズ、つまりキキとララとか、マイメロディとか、けろけろけろっぴとか、そのほかかわいらしいものを思い浮かべます。

 英和辞典(『新クラウン英和辞典第3版』)を頼ると、fancyに装飾的な、という意味があります。そうすると、趣味品、とは、結局のところ、ここでは、装飾的な品、ということらしい。

 

[2024年6月17日追記] ディーツ版23巻436頁に、訳者註で、「かせ:hank=綿糸840ヤード」とあります。840ヤードはメートル法で768メートル。工場監督官報告書の引用箇所中の糸の太さを番手で表わすと36番手から130番手となります。

 太さが36番手から130番手にわたる、という言い方でなく、品質が36番手から130番手にわたる、という言い方をしているのは、細糸のほうが高級だからです。宮田美智也(1986)参照。

 

[参照した文献]

宮田美智也(1986)、産業革命期イギリス綿工業における商業信用の展開、金沢大学経済学部論集 7(1) :41-77.

この欲望の性質は、それがたとえば胃袋から生じようと空想から生じようと、少しも事柄を変えるものではない。(ディーツ版23巻49頁。)

 資本論第1章第1節で、次の記述があります。

商品は、まず第一に外的対象であり、その諸属性によって人間のなんらかの種類の欲望を満足させる物である。この欲望の性質は、それがたとえば胃袋から生じようと空想から生じようと、少しも事柄を変えるものではない。(・・・)(ディーツ版23巻49頁。)

[註] 空想:Phantasie。

 胃袋、空想は、それぞれ何を表わしているのでしょうか。

 マルクスは、註釈でニコラス・バーボンの著作(1696年)から引用しています。

 

願望は欲望を含む。願望は精神の食欲であり、肉体にとって空腹が自然的であるように、自然的である。大多数(の物)は、それらが精神の欲望を満足させるからこそ価値をもっているのである。(ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究。ロック氏の諸考察に答えて』、ロンドン、1696年。2、3ページ。)岡崎次郎訳。)

 N・バーボンの著作を開くと、引用された箇所の少し前に次の記載があります、

There are two general uses by which all things have a value: They are either useful to supply the wants of the body or the want of the mind.

二つの一般的な用途があり、これらによって、全ての物が価値を持つ。全ての物は、身体の欲望または精神の欲望を満足させる。(ブログ主による訳。太字強調はブログ主。)

 

 

 

 胃袋は身体的なこと、空想は精神的なこと、をそれぞれ代表している、ということのようです、

 ただ、「おしゃれはどうなるのか、ただ寒さをしのげたらいいというわけではないでしょう。」「食べることにしたって、盛り付けとか色合いとか、気にするでしょう。」とか、身体的なこと・精神的なことは二者択一ではないのではないか、という疑問がただちに生じます。

(胃袋は、食欲を指しているのか、それとも栄養を摂取する必要のことを指しているのか、という問題もあります。)

「食事は、単におなかがふくれたらいいわけではない」というマルクスの考えは、次の箇所からうかがえると思います。

 

資本は、食事時間をへずり、できればそれを生産過程そのものに合併する。したがって、ただの生産手段としての労働者に食物があてがわれるのは、ボイラーに石炭が、機械に油脂が加えられるようなものである。(ディーツ版23巻280頁。岡崎次郎訳。)

 

 この箇所は、「食事のための休憩時間などぎりぎりまで切り詰めたらよい、5分で食べて仕事に戻りなさい」とか、下手したら「機械のそばで食べたらいいんじゃない?」と言いかねない、というのが資本の論理である、というふうに聞こえます。

 

 

もし炭槽が不正に大きくされたならば(ディーツ版23巻522頁)

(5)不正な度量衡。労働者たちは、2週ごとでなく1週ごとの支払、運炭槽の容積によらないで重量による計量、不正な度量衡の使用の防止などを要望する。

(第1071号)「〔質問〕もし炭槽が不正に大きくされたならば、労働者は2週間の予告期間をおいてその鉱山をやめることができるのだろう?---〔答弁〕だがよそに行っても同じことだ。」(第1072号)「〔質問〕それでも、不正が行なわれている所からは去ることができるのだろう?---〔答弁〕不正は一般に行なわれている。」(第1073号)「〔質問〕しかし、労働者は行くさきざきの所から、2週間の予告期間を置いて去ることができるのだろう?---〔答弁〕そうだ。」(ディーツ版23巻522頁。鍵括弧「 」は『鉱山特別委員会報告書。1866年7月23日』からの引用。岡崎次郎訳。亀甲括弧〔 〕内はブログ主。)

 運炭槽または炭槽は、もとのことば(英語)はtub/tubsです。2024年5月4日の記事中で取り上げた箇所にも「炭車」という訳語で出てきます。

 

婦人労働者は 、1842 年以後はもはや地下では使われないが、地上では石炭の積み込みなどや、運河や鉄道貨車まで炭車を引っぱって行くことや、石炭の選別などに使われる。その使用は最近3-4年のあいだに非常にふえた。(第1727号。)(ディーツ版23巻522頁。『鉱山特別委員会報告書。1866年7月23日』から。岡崎次郎訳。太字強調はブログ主。)

 

 上野英信氏の著書に炭車が出てきます。

〔前略〕「棹取りが、その明けの日から、ぴたっと炭凾(はこ)をまわさんことするたい。当人が文句を言おうと、役人が何といおうと、ぜったいにを入れてやらんわな。そうなると、ヤマを移るよりほかにみちはなか」

 なるほど、それはそうだ。棹取りは坑内の各採炭現場へを炭車を流し込み、石炭の積まれた炭車を坑外へ捲き上げる運搬夫である。どれほど炭を掘ったところで、炭車がもらえないことには炭は運び出せず、一銭の賃金も支払われない。逃げ出すよりほかに方法はなくなるわけだ。〔後略〕(上野英信『地の底の笑い話』岩波新書、1967年、37頁。太字強調はブログ主。)

 この箇所からは、炭車がかたい言い方、炭凾/凾(はこ)が通称、なのではないか、と思えます(鉱山/ヤマのように)。

 上野氏の著書にはまえがきに「とりあげた笑い話の舞台も九州と山口の炭鉱に限られており、北海道や常磐地方まで足をふまえる余裕がなかった。」とあります。なので北海道や常磐地方では別の言い方があるかもしれません。

 ただ、車輪のない炭槽も、1842年の報告書には記述されています。次に引用した箇所です。なので、tub/tubs全てを炭車とは訳せません。

 

This can be seen by the evidence that this half-fed and hal-clothed lad (...) assists in drawing 2 hundredweights  of coal a distance of 160 yards in a tub without wheels.

(『児童労働調査委員会。第1次報告書。1842年。』172ページ、第736号から。(...) は省略を表わす。太字強調はブログ主。)
食事も満足に摂っておらず、満足な衣服を着てもいないこの若者が(・・・)、車輪のない炭槽に入った 2 ハンドレッドウェイトの石炭を 160 ヤードの距離引くのを手伝っているという証言から、このことはわかるだろう。(ブログ主の訳。太字強調はブログ主。)

[註] 2 ハンドレッドウェイトはおよそ100キログラム。160ヤードはおよそ146メートル。

 炭槽の構造は未確認。せめて橇状の構造になっていないと無理でしょう。

[2024年6月5日追記] 

山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録 新装版』、講談社、2011年(旧版は1967年刊行)を図書館で手に取りました。この本の表紙の絵では、車輪のない炭槽はスラと呼ばれています。橇状の構造になっています。籠に橇がついたのが、バラスラと名が記されています。箱に橇がついたのが、ハコスラと名が記されています。124-125頁見開きの絵には「百二十キロ位つむ」と説明書きがあります。

 

『児童労働調査委員会。第5次報告書。1866年。』別付25ページ、第160-第163号。(まとめ)

『児童労働調査委員会。第5次報告書。1866年。』別付25ページ、第160-第163号をまとめておきます。

 

(160)上記の製造業の諸部門すべてに法の保護が拡張されて、適度かつ規則正しい労働時間と作業場のより良い衛生状態が保証されれば、これら諸部門において、そのことは非常に多くの児童、少年、婦人の健康、安楽さ、改善手段に大いに有益であろう。(ブログ主による訳。)
(161)しかし、多くの製造部門で、狭く、込み合った、汚く、換気の悪い作業場で、長時間の有害な労働を、親たちによってさせられている多数の非常に幼い子どもたちにとってこそ、特にこのような法律は保護となり利益となるであろう。(ブログ主による訳。)
(162)不幸なことであるが、男女の子供はほかのだれにたいしてよりも彼ら自身の親にたいして保護される必要があるということは、証言の全体から見て明らかである。岡崎次郎訳。)
(163)1840 年の児童労働調査委員会による証言の要約 (第 2 次報告書、1843 年、195 ページ) の中で、委員会はこの件について次のように述べている。---
「すべての場合において、ごく幼い子供たちを雇用しているのは親たち自身であって、親たちは自分たちの家で自分たちの目の前で自分たちの子供たちを何らかの製造工程で働かせている。」(ブログ主による訳。)

 

男女の子供はほかのだれにたいしてよりも彼ら自身の親にたいして保護される必要があるということは(ディーツ版23巻513頁。)(続き)

 2024年5月27日の記事の続きです。

In the summary of the evidence by the Children's Employment  Commissioners of 1840 (2nd Report, 1843, p.195,) the Commissioners state upon the subject as follows:---

"In all cases the persons that employ mere infants and the very youngest children are the parents themselves, who put their children to work at some process of manufacture under their own eyes, in their own houses."(『児童労働調査委員会。第5次報告書。1866年。』第163号。)

 

 

1840 年の児童労働調査委員会による証言の要約 (第 2 次報告書、1843 年、195 ページ) の中で、委員会はこの件について次のように述べている。---

「すべての場合において、ごく幼い子供たちを雇用しているのは親たち自身であって、親たちは自分たちの家で自分たちの目の前で自分たちの子供たちを何らかの製造工程で働かせている。」(ブログ主による訳。)

 

[1] mere infants and the very youngest children はinfant/infantsとchild/childrenを訳し分けるのが難しい。なので、「ごく幼い子供たち」とまとめて訳しています。

infant/infants は今の日本で言うと保育園や幼稚園に通うくらいの年齢層を指すらしい。

child/childrenは今の日本で言うと小学校に通うくらいの年齢層を指すらしい。